皆様今晩はッ!!
っでッ
なんじゃかんじゃと武相荘さんでの古美術展当日までッ
ほぼ一週間をば切ってまいりやしたでございますがッ
今宵の出動メンバぁ~ご紹介さんはッ
三年後の干支さんをば見据えましてのッ
ドカンと一発蛇さんの掛け軸さんでッ
ございますッ!!
っでへへちぃ~とばかし気の早い事かとッ
何気に思われちゃうかもしんないけれどもッ
いざさてして蛇さんの掛け軸さんをばッ
探そぉ~と致しますればッ
こいつが何とも結構ぉ~至難の業でございましてッ
蛇さん自体を題材にされたものがッ
如何に少のぉ~ございますかッてなことにッ
ドボチョンドロドロ直面いたしますことにッ
なるわけなんでございますんでございますッ!!
なもんでもんでッ
今回の武相荘さんでの大作戦にッ
ドカンと一発大挑戦ッ
ってなわけでございますちゃまでございますッ!!
っでしてそのッ
三年後を見据えた蛇さん掛け軸さんとはッ
どげなるお方様なのかッ!??
とみもかくみもこッつらさんでぇ~ごだりますッ!!
ってもってほぉ~ほぉ~成程成程ッ
確かにこいつぁ~蛇さんだぁ~~ッ!
っでッ
構図と致しましては実にシンプルッ
去れども確かに探すとなればのッ
これまたなかなか巡りあえそぉ~になさそぉ~さんなッ
一幅さんでございますッ・・・
だけんどけんどもッ
この実に何気な蛇さんの微妙ぉ~な動きの描写しかりッ
淡いけれどもパピッとされた色分けの妙ッ!
余白の何気な団扇じゃなくてッ
センスの良さッ!
たとえシンプルさんとはいえッ
なかなか絵心知り尽くされたかの如し御仁によるッ
蛇さんかと存じよりますッ!!
っでさてして今宵のこの蛇さんをばッ
描きなすったお方様でございますがッ
その名を高久隆古さんと申しましてッ
江戸後期の復古大和絵派の画家さんでございますッ!!
っでその隆古さんはッ
文化七年ッ(1810)
忍城下ッ(現ッ埼玉行田市)にてッ
代々阿部家の家老職を襲名する川勝家の四男としてッ
お生まれになりましたッ!!
っしてその後ッ
隆古さんはッ
武士としての道ではなくッ
画家としての道をば歩まれるのでございましたッ!!
っでしてその後ッ
天保三年の頃ッ
復古大和絵の大家ッ田中訥言さんを慕って京都へ上りッ
その訥言さんの門人であった浮田一恵さんにッ
復古大和絵のなんちゃるかぁ~をッ
パピッと教わるのでございましたッ!!
してまたその後ッ
江戸にもどった隆古さんはッ
ちょいとしたご縁のもとッ
谷文晁さんの高弟さんだったッ
高久靄涯さんの後嗣となられてッ
高久の姓を名乗ることとなったのでございますッ!!
してまたその後はッ
南画と大和絵の融合を極めッ
関東におきましての立派な画家さんとしてッ
活躍なされたのでございますがッ
安政五年ッ(1858)
残念ながらッ
急なコレラを患われてッ
四十八歳という少々早い人生にッ
幕を閉じられてしまわれたのでございましたッ・・
ってなわけでございましてッ
今宵のこの隆古さんはッ
少々早くに他界されてしまった故にのッ
作品が少ないかと申しますればッ
意外とそぉ~ではないのではございますがッ
復古大和絵を中心に展開された故にッ
今宵のこの蛇さん図はッ
隆古さんといたしましてはッ
まッこと珍らな一幅さんなのかもッ
しれないでございますやねッ!
とにもかくにもッ
まずはもってのちゃまの三年後をば見据えた大作戦ッ!
実を結ぶのか否かッ!??
ドカンと一発大挑戦でぇ~ごだりますッ!
頑張れちゃまッ!
ミッションコンクリぃ~トでございますぞよッ!!!