皆様今晩はッ!!
でさてして今宵は少々ちゃま的にゃぁ~珍しくッ
近代物故の奇才画家さんのお話でございますッ!!
っで確かにこのちゃま近年近代の皆様との御縁となるとッ
あんまし積極的でなかったところ多しなのでございますがッ
今宵御登場願いますお方様はッ
ずっと前よりそのお人柄ッ生き方ッ
そしてもちろんその作品に憧れ続けておりました御方様だったのでございますッ!
ただねッ
なかなかそこんとこ思い切ることが出来ぬままッ
なんじゃかんじゃとうじうじしておりましたところッ
ちょいとしたきっかけさんでッ
ついに念願叶いましての御縁だったのでございますッ!!
だばだばもったいつけるのもなんでございます故にッ
とにもかくにもドカンと一発御出ましいただきやしほよいッ!!!
っとてだはぁ~~~~~ッ!!!?
こいつぁ~いったい実に力強きとゆぅ~かなんちゅぅ~か四川中華ッ
正にそれこそ威風堂々たる一行さんでごだりますッ!!!
でして今宵のこの一行さんをば手掛けられたる御仁とはッ
昭和平成をまたにかけッ
それこそ二十世紀最後の奇才とまで言わしめた画家ッ
かの須田剋太さんその御方様にごじゃりまふすッ!!!
いひゃいひゃまぁ~ねぇ~~~ッ
恐らくたぶん現代美術に限らずッ
骨董愛好家の皆様の間でもッ
この剋太さんのことは十分ご存知かとは存じよりよりさんではございますがッ
とにもかくにも見てよ見て見てこの豪快なまでの一行さんッ!!
パピッと見るなりドカンと一発どたまカチ割られるかの如し強烈パンチが飛んできたくらいの衝撃さんがッ
走ってくるよぉ~でございましょッ!!
ででして因なみにこの一行さんの意味はッ
『牛歩遅々踏大地』 剋太さんが丑年の年に認められたものでございましてッ
正にそれこそ読んで字の如くッ
一歩一歩をしっかりどっぷり確実に踏みしめて行けッ!!
ってなもんでの意味でございましょうッ!!
毎度いつもフラフラ落ち着きのないちゃまにゃぁ~正にぴったしやぁ~の教訓ッ
ドカンと一発心に響き渡りまんなぁ~~~ッ!!!
いやいやしかしッ
この超パピ直球こそが剋太さんの真骨頂ッ!!
だけんど決して意図的なものじゃぁ~なくてッ
剋太さん自身がその時そのまんま自分が感じた心の全てをッ
一行に託したものなんでございますッ!!
正に天真爛漫ッ
無垢の極みみたいなもんでございますッ!!
だもんだからこそッ
ぱぴっと見た時のこの衝撃さんがドカンと伝わって来るのでございましょぉ~やねッ!!
でさてしてそもそも今宵のこの剋太さんはッ
明治三十九年に現在の鴻巣市でお生まれになりッ
高卒後ッ ゴッホさんや写楽さんに度肝を抜かれた後ッ
ドカンと一発画家を目指しッ
四十代半ばころからいよいよ抽象画の世界へと邁進ッ!!
その後数々の画家としての功績を重ねッ
昭和四十六年ッ
ついにかの司馬遼太郎さんの「街道をゆく」の挿絵を手掛けることでッ
ドカンと一発脚光を浴びることとなったのでございますッ!!!
ッでまぁ~この剋太さんの一種奇抜な絵の数々はッ
二十世紀後期の美術界にッ
キョォ~レツなるかな足跡さんをば残されたのでございますッ!!
してしてその後ッ
平成とゆぅ~新たな年号を迎えた二年目の1990年七月ッ
剋太さんはそのドカンと一発な人生に幕を閉じられたのでございますッ・・・
とにもかくにもッ
変わり移りゆく時代の中でッ
ここまでただひたすらに画業に打ち込みッ
ただひたすらになんのてらいもなく己の心に素直に向き合い生き抜かれたッ
それこそ素丸出しのアァ~テストさんなんてッ
もぉ~この先出現されることがあるのか否かッ・・・
芸術家といわれるものの真の姿をッ
今宵のこの剋太さんの一行からはッ
どっぷりぷっちり感じずにはいらんない気持ちで一杯さんのッ
今宵のちゃまでございますッ・・・
芸術は爆発だはぁ~~~~ッ❢❢❢
それは岡本太郎さんですよちゃまッ・・・・
あッ!??