皆様今晩はッ!!
さてさて早くも十一月半ばをむかえましてッ
ぼちぼち寒さも身に染みて来る頃となりましたでございますなぁ~~ッ・・・
ッてなことになって来ますればッ
やっぱし寒い季節のたまらん美味美味ッ
河豚の季節の到ぉ~来さんでぇ~ございますなぁ~~ッ!!
てっさてっちりッしてしてヒレ酒ッ
んんん~~タマリマヘンドリュシュタイン十三世でございますッ!!
ってなわけでございましてッ
今宵御登場いただきます御方様はッ
もぉ~もぉ~いきなりこちらさんでぇ~ございますッ!!
ってきゃぁ~きゃぁははぁ~~~ッ❢❢❢
やっぱし河豚サンダァ~杉山さんだぁ~~ッ!!
っとまぁ~この歓びさんも束の間さんでッ
正にそれこそ絵に描いた餅ではございませんがッ
絵に描いた河豚さん故にッ
指をば咥えて見てるだけのもんではございますがッ
ただね皆様ッ
今宵のこの河豚さんが描かれたのは勿論パピッと江戸時代ッ
んでんでもってッ
江戸時代に描かれた河豚さんの絵なんてぇ~のはッ
正直まっこと少のぉ~ございますもんでございますからッ
今ここにこぉ~して何気に眺められるッてぇ~ことはッ
意外とけっこぉ~なかなかない事なんでございますぞッ!!
でしてでもってッ
おまけに今宵のこの河豚さんを描かれた御方様ッてぇ~のがッ
当時の何とまお医者さんだッてなことになってくりゃぁ~~ねぇ~~ッ
そりゃもぉ~こいつぁ~おったまげぇ~でございましょッ!!
ってなわけでございましてッ
今宵のこの河豚さんの絵ッ
まずはともかく描きなすったそのお医者さんについてッ
お話申し上げますでございますがッ
その名をパピッと吉益北洲さんとッ申しますッ!!
っでその北洲さんはッ
代々お医者さんとして継がれて来れられた吉益家のッ
言わば二代目の南涯さんちゅぅ~御方様の婿養子さんでございましてッ
お生まれさんは天明六年ッ本名青沼道立さんと申しましたッ!
してその北洲さんはッ
南涯さんの婿養子となられた後ッ
吉益姓となりッ北洲と名乗りッ
京都においての名医として活躍なされたのでございますッ!!
だけんどその後ッ
何故だかは知んないでございますがッ
弘化二年ッ京都で培ったなんじゃかんじゃの全てを弟子に譲りッ
全く処遇の違う金沢加賀藩の藩医となりッ
その生涯を全うするのでございましたッ!!
ただッ
その加賀藩医としての北洲さんの人生がッ
全然良くなかったかどぉ~かは定かじゃござんせんがッ
吉益北洲さんといやぁ~加賀藩医ッ!
とまで言われるくらいでございますからッ
その辺のことにつきましてはッ
何か深ぁ~~い経緯さんがあったのかも知んないでございますやねッ!
でさてして今宵のこの河豚さんでございますがッ
実を申さばその北洲さんはッ
お医者さんちゅぅ~本来の御姿さんの他にッ
実は河豚描きの北洲さんとしての別のお顔もございましたんでございますッ!!
つまり北洲さんはッ
お医者さんでありながらッ
ほぼ専門的ぐらい河豚の絵ばっかし描いたお医者さんとしてもッ
有名さんでございましたんでございますッ!!
恐らくたぶんッ
お医者さんとしてッ
河豚毒ッちゅぅ~もんに非常に興味を持ってらっしゃったのではないかッ
ちゅぅ~説も無きにしも非ずッ・・・
まぁ~まぁ~それにいたしましてもッ
あくまでお医者さんでありながらッ
この河豚の絵の絵筋さんはッ
なかなかどぉ~して上手いもんでございますッ!!
因みにこの絵に添えられた賛を書かれた御方様はッ
村上充さんと申します御方様でッ
北洲さんの吉益家においてのお爺ぃ~様にあたるッ
吉益東洞さんが記された河豚毒の詩を村上さんが添えられたよぉ~でございますッ!
わかりまへんけどッ
北洲さんの河豚さんへの執着はッ
そのずっと前の御先祖様から続いていたものなのかも知んないでございますやねッ!!
あららぁ~~ッ・・・・
河豚のことばっかしお話してたらッ
やっぱし河豚が食べたくなってきちったぁ~~~ッ❢❢❢