皆様今晩はッ!!
でさてしてところでッ
江川担庵ッもしくは英龍(ひでたつ)さんちゅぅ~御方様のことッ
ちょいとピンッと来られる皆様ッ
いらっしゃるかと存じよりますれしがッ
そぉ~なんれしッ!
かの江戸後期の伊豆韮山の御代官ッ
江川担庵さんのことでございますッ!!
でまぁ~このその担庵さんといやぁ~~ッ
あの韮山の反射炉やッ西洋砲術の指南役などッ
いわゆる江戸後期における我国海防の草分け的ドカンと一発くらい有名な御仁でございますッ!!
ででッ
今宵は何とッ!
その担庵さんが描きましたるッ
ちょいと如何にも担庵さんらしきかなッ
一枚の絵をば御紹介申し上げますでございますッ!!
ではではまずはもってのその一枚さんにッ
御登場願いやしょほほぉ~~いッ!!
ってまぁ~こりゃ何とも三人さんのおっちゃまさんがッ
なんにゃらかんやらッ・・・
おッほほいッ
こりゃこりゃたぶんは舶来さんの鉄砲さんをばッ
手入れしてるだのなんだのかの様子でございましょぉ~かッ!?
してまたそれぞれさんがッ
羽織ってらっしゃる水色の羽織みたいなのはッ
当時の鉄砲隊の皆様でございましょぉ~かッ!!?
いやいやなるほどッ
こいつぁ~確かに西洋砲術をいち早く我国に広めた担庵さんが描かれた絵としちゃぁ~~ッ
正にそれこそぴったしやぁ~の一枚さんでございますなぁ~~~ッ!!!
しかもその絵筋とてッ
さすがは担庵さんッなかなかの力強き運筆さんでございますッ!!
でさてして今宵のこの担庵さんッ
古くより知られておりますその人物とお人柄はッ
そりゃもぉ~熱血溢るる立派な御仁としてドカンと一発ッつあんでございますがッ
地元韮山の庶民の間ではッ
江川大明神と慕われた程の領民思いの御代官様ッ!
してまたその剣術さんの腕前と来たらッ
ドカンとピカイチ神道無念流免許皆伝とのことッ!!
ででして他にもッ
パンを自ら焼き上げていまだに我国のパン祖と呼ばれてたりッ
ガラッと変わって後の新選組の陰の礎だっただのとかッ
とにもかくにもッ
その生き様は正に嵐の如くッ!!
だけんどねッ・・・
その強烈至極の爆進人生の為かッ
わずか五十歳少々の短き生涯だったのでございますッ・・・
幕末迫りし正に日本が大きく変わろうとしていた激動の時ッ
愛する我国を思うが故の熱血人生を全うされた担庵さんッ
その熱き心意気はッ
今日の世でもしっかりさんとッ
人々の間で語り継がれて止まないところでございますッ!!
でッ
ちょいと余談なんではございますがッ
今宵の担庵さんゆかりの地伊豆韮山はッ
実を申さばッ
今は亡きちゃまのお母さんとちゃまがッ
最後の言葉を交わした地でもございますんでございますッ・・・
ちゃまのお母さんはッ
戦中戦後をドカンと生き抜きッ
家族やご近所の皆様のことをいつも大切にしていたッ
まるで肝っ玉かぁ~さんのよぉ~なお母さんでございましたッ!!
してまたその人生は五十二年ッ・・・
今宵のこの担庵さんとの有難き御縁ッ
何故だか何だか何気に感慨深げな思いにッ
ただただ導かれし不肖息子の今宵のちゃまでございますれしたッ・・・
あしたお墓参りに行ってくるかッ!!