皆様今晩はッ!!
九月に入りまして早一週間ッ
何気に涼しくなってまいりましたでございますなぁ~~ッ・・・・
でして今宵はッ
そんな初秋のもにょもにょ気分にッ
パピッと華やかなりし一枚の絵をば御紹介申し上げましょほほぉ~~いッ!!
ってまぁ~こりゃこりゃ水墨ながらもッ
如何にも華やかれし花魁さんの一幅でございますかぁ~~ッ!!
んん~しかしまぁ~この確かに華やかではございますがッ
ちゃま的にゃぁ~べっぴんしゃんと申しますにはッ
ちぃ~とばかしむつかしぃ~かもしんないでございますがッ
この運筆さんの軽やかさと絵筋のスキッと感はッ
何とも気持ちよろしき花魁さんでぇ~ございますッ!!
しかもおまけに周りの表具はッ
ちょいとお洒落な花柄の描表具仕立てッ
してして金箔らしき散らし施したなかなかの懲り様でございますッ!!
いやいや正直ッ
初秋のもにょもにょスキッと晴れ渡りさんになってまいりましたれしなぁ~~~ッ!!
でさてして皆様ッ
今宵のこのスキッと一発花魁さんをば描かれましたる御仁でございますがッ
実を申さば本職さんはッ
江戸中期の儒学者ッつまり今でゆぅ~政治家みたいなお方様でございましてッ
その名を皆川淇園(みながわ きえん)さんと申しますッ!!
* 落款名は呑海主人
なははははッ
そぉ~なんれしッ パピッとした日本画家さんじゃなくってッ
儒学者さんだったんでぇ~ございますよ皆様ッ!!
ででしてその皆川さんッ
享保十九年(1735)ッ かの皆川成慶さんの息子として京都でお生まれになりッ
本名は愿(げん)ッ 呑海ッそして淇園はその号でございましてッ
かの柳沢淇園さんと号がだぶってしまうもんでッ
ちゃま達骨董屋さんの間ではッ
皆川の愿ちゃん呼んで親しまれておられるんでございますッ!!
でッ その愿ちゃんはッ
幼少の頃より当時の有名儒学者さん達からッ
パピッとその教えを乞いッ
してまた易学にも力を注がれッ
その積極的お仕事が認められてかッ
平戸藩をはじめッ様々な藩主の方々から大変な信頼をばいただかれたッ
それはそれは立派な御仁でございましたんでございますッ!
してまた京においてはッ
私塾を開きッその門人さんはなんとッ
3000人をも越えたと言われておりましてッ
七十四歳の生涯を終えるその日までッ
立派な若者さん達を沢山育て上げられたのでございましたッ!!
ででしてそのまた愿ちゃんはッ
日本画にもパピッと励まれておられましてッ
かの圓山応挙さんらにそのご指導をばいただいておられたのでございますッ!
なもんでございますからッ
今宵のこの花魁さんをば眺めてるだけでもスカッとしてしまうのはッ
とぉ~ぜんのお話だったッてぇ~ことでございますッ!!
ただねぇ~皆様ッ
その愿ちゃんッ残された絵画と申しますればッ
山水とか風景画とかッ
いわゆるその辺の手の絵が多かったもんでございましてッ
今宵のこの花魁さんの絵ッてぇ~のはッ
愿ちゃんといたしましてはちっとばかし珍らな一幅さんなのかもしんないでございますッ!!
まぁ~このッ
愿ちゃんのイメェ~ジからしてッ
咳が出たら龍角散じゃなくてッ
遊郭さんへよく通われたッちゅぅ~感じがあんましない故にッ
ちょいとばかしの驚きもんではございましたんれしッ!
まぁ~このもしかしてもしかすっとッ
ある日ある時ッたまたま愿ちゃんが花魁道中を目にされてッ
それがとっても印象に残ったもんでッ
思わず絵にされたのかもしんないでございますやねッ
しかしそれにいたしましてもッ
さすがは愿ちゃんッ!!
絵の腕前さんも評判だったと言われただけあってかッ
花魁さんのお顔や仕草や着物の隅々までもの表現パッピシさんでございますッ!!
とにもかくにもッ
初秋のもにょもにょのこの季節ッ
今宵はスキッと一発ッ気持ちよろしき花魁さんをば眺めつつッ
秋の夜長を楽しむことといたしやしょほかいやねッ!
むふふふふッ・・・・・
だけんどしかしッ
もぉ~ちぴっと美人しゃんに描いてくれてたらなぁ~~~ッ・・・・
こらッ誰がブスやってぇ~ちゃまッ! 怒怒怒怒ッ