仙台ゆかりの梅関さんが描きなすッた名古屋城ぉ~ッ!!

皆様今晩はッ!!

 

 

 

っでさてして今宵の東京アンテぇ~クフぇヤッ

出動メンバぁ~ご紹介さんはッ

 

ドカンと一発こちらの一幅さんにぃ~ござりますッ!!!

 

 

 

 

 

 

っででしてまぁ~こりゃッ

何気に滑稽さんなるお城をば描いた一幅さんでございますがッ

 

まずこの滑稽さんなるお城の図をば描きなすッたお方様とはッ!?

 

 

江戸中後期ッ

文人画家と致しましてで活躍されましたッ

 

菅井梅関さんちゅぅ~お方様にござりますッ!!

 

 

 

 

 

 

 

っでしてまずこの今宵はッ

そげな梅関さんにつきましてッ

お話さしていただきたくたく存じよりますれしがッ

 

今宵のその梅関さんはッ

江戸後期の文人画家さんでございましてッ

当時の仙台四大画家のひとりとして称されッ

初号は東斎さんと名乗りッ

後に梅関さんと名乗ることとなるのでございますがッ

 

まずその梅関さんのおうまれさんはッ

天明四年(1784)ッ

仙台柳町の老舗『名取屋』の長男としてお生まれになりましたがッ

根ッからの絵を描くのがお好きだッたもんでッ

 

店の全てを弟に譲りッ

ひたすら画業の道へと進まれたのでございますッ!!

 

してまたその後ッ

梅関さんは地元の師匠らの勧めからお江戸に向かいッ

してして更には京都へと移りッ

その際に目にされた長崎の来舶清人江稼圃さんの描いた絵に魅せられッ

遂には長崎へも趣きッ

その後は当時の名だたる識者や画人との交流を深めッ

その腕前を磨きまくッたのでございますッ!!

 

 

っでッ

長崎を後にする際ッ

長崎の師匠でもあられた来舶清人江稼圃さんからッ

梅の絵を描くよう言われッ

その梅の絵を江稼圃さんが大切に清国へ持ち帰ッたことからッ

 

号を東斎さんから梅関さんへと改め新玉美千代さんでございましたッ!!

 

 

 

その後も梅関さんは大坂の地を拠点にッ

文人画家として大活躍されるのでございましたがッ

 

運命とゆうものは非情なものでございましてッ

 

故郷のお母さまが他界されッ

家業を継いだ弟が失明してしまッたことを機にッ

仙台へ戻るもののッ

不自由な家族を支えることはとても厳しくッ

 

天保十五年ッ(1844)

とうとう失意のままにッ

梅関さんは自らの命を絶ッてしまうのでございましたッ・・・・

 

享年ッ六十一歳でございましたとのことでございましたッ。

 

 

 

 

 

 

 

ってなわけでございましてッ

改めまして今宵のこのお城の一幅さんをばッ

ご覧いただきますでございますれしがッ

 

実はこのお城ッ

にんとまかんとまッ

尾張名古屋は城でもつッてな名古屋城をばッ

描きなすッた一幅さんなんでぇ~~ございますッ!!

 

 

 

 

 

 

 

お城のお姿ッ

天守の鯱ッ

 

 

 

 

 

などなどからして恐らくたぶんッ

間違い無し無し名古屋城かと存じよりますれしれしがッ

 

 

 

 

 

 

 

 

なして仙台ゆかりの梅関さんがッ

名古屋城なのかッ・・・・・?

 

 

 

ってまぁ~このいッぱしの画家さんであらばッ

様々さんな求めに応じることはッ

当たり前田のセサミハイチではございまひょぉ~けどッ

 

やッぱし仙台の画家さんが名古屋城ぉ~~~ッ????

 

なしてぇ~~~~~ッ?????????

 

 

 

 

 

 

ってなところでッ

ここで来ました誠勝手なちゃま見解ッ!!!!

 

 

まずこの落款ッ

東斎さんッ!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

いわゆる梅関さんが梅関名乗る前の初号でございましてッ

東斎さんの時に仙台の先輩でございました東東洋さんからッ

勧められて京都へ向かうその途中で目にされた名古屋城おばッ

絵にされたのではなかろぉ~さんかとッ

 

 

っでまぁ~この何とも滑稽さんなるお城のお姿ッ

あくまで写実的でなくてのッ

ちょぴッと抽象的ッ・・・・

 

 

 

 

 

 

つまりッ

 

道中目にされた名古屋城があまりにも印象的だッたもんでッ

目に焼き付いたそのお姿さんをば思い出しながらッ

絵にされたのではなかろぉ~さんかとッ!???

 

 

 

何気に存じ察しよります所のちゃまでございますッ!!

 

 

 

その後ッ

尾張を梅関さんが通るとすればッ

梅関さんを名乗るようになッてからの後の仙台帰省の時くらいとすればッ

 

そげなちゃま的見解さんんもッ

無きにしも非ずッ・・・・・

 

 

 

頼まれて描いたのかッ

思い出の記録として描いたのかッ

 

定かではござりませんけどッ

 

 

 

 

 

何気に抽象的な描写をされたところがッ

目に焼き付いたお城の姿を思い出しながらの描写と言ッてもッ

何気にそぉ~かもかもしれずッ・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ま~このいずれにいたしましてもッ

地元仙台から京へ渡りッしてして長崎ッ

 

多種な師につき様々さんなる画法にチャレンジされたッ

梅関さんならではのちょいとオモロな一面さんがッ

 

如実に垣間見れる様ぉ~~なッ

そげな今宵の一幅さんなのかも知れないかもかもさんでッ

ござりましたッ!!

 

 

 

 

 

尾張名古屋は城でもつッ!

 

尾張名古屋はドラゴンズッ!!!!

 

 

 

メルヘンでんなぁ~~ッ・・・・・