唐絵目利ッ! 石崎融思さんのお猿さんッ!!!
By on
皆様今晩はッ!!
っでさてして令和八年ッ
ちゃまブロ『骨董屋の独り言ッ』近世絵画第一弾ッ!!
今宵パピッと参り松ッ!!!
っでッ
今宵のその第一幅さん目とはッ!??
まずはもッてとこッつらりぃ~~~ッ!!

っとっとこりゃまたお猿サンダァ~杉山さんだぁ~ッ!!!
いやましかしの墨一色さんなれどもッ
ちょぴッとお洒落なサテン地に描かれッ
何気に自然な動きと穏やかさんなるお猿さんのこのお顔ッ!



素朴な描写なれども何処かパピパピ気合の絵筋とッ
ワンポイトンポチッと蜂さんにッ
心奪われ姥ヶ餅さんでございますッ・・・・
っでッ!
今宵のこのお猿さんをば描きなすッたお方様をばッ
ここでポチッとご紹介さんでございますがッ!
まずはその名ッ
石崎融思さんと申しましてッ

江戸後期ッ
長崎は唐絵目利を務めなさッた御仁でございましてッ
当時ッ長崎四大目利家ッ渡辺ッ広渡ッ石崎ッ荒木と名を連ねる中ッ
ひと際存在感をば示されましたるお方様なんでございますぞよッ!!
っでッ
今宵のこの融思さんにつきましてッ
ちょぴッとお話申しますればッ
まずそのお生まれさんはッ
明和五年(1768)ッ
唐絵目利の荒木家初代元融さんの子としてでございましてッ
その後父より直に洋風画等を学びしけれどもッ
二十一歳の時にッ
父元融さんの師であッたッ
同じく唐絵目利の古参ッ広渡元徳さんの元へ養子となりッ
広渡家四代目となッてッ
長崎画壇の中心人物となられるのでございましたッ!!
とにかく融思さんの画家と致しましてのその腕前はッ
兎にも角にもパピパピさんでッ
長崎界隈は勿論ッ関西などなどにもその名が知られッ
数々の著名人との交流さんも多くッ
またッ融思さんのお弟子さんはッ
無茶苦茶沢山おられたとのことでございましたッ!!
っとまぁ~そげな融思さんでございましたがッ
その私的な人生さんはッ
ちょぴッと辛いものがございましたよぉ~でッ
早くに奥様を亡くされッ
して息子さんッ娘さんもッ
先立たれたとのことでございましたッ・・・
ってなわけでございましてッ
今一度今宵のお猿さんに戻りまッけどッ

何度見ても何気にほぼのぼ癒されそぉ~なッ
一幅さんでございますなぁ~~ッ・・・
っで因みに今宵のこのお猿さんッ
去りますこと平成の十年年末にッ
長崎県立美術博物館におきましてのッ
『唐絵目利と同門』展ッ
ちゅぅ~企画展に出品されたとのことッ!




さすが地元で愛されましたる融思さんでございまさぁ~やねッ!!
江戸期長崎唐絵目利をパピッと勤め上げッ
沢山の信頼をば受けながらッ
大切な家族との辛い別れを重ねられた融思さんッ・・
今はきッとッ
愛するご家族と一緒にッ
お天道様んとこで幸せに過ごされておられることでございましょぉ~ッ!
今宵のこのお猿さんの一幅さんはッ
奥様との幸せな時を思い出して描かれたものなのかもッ
知れないでございますやねッ!

とみもかくみもッ
今宵も素敵な温か御縁にッ
心深く感謝感謝のちゃまでございましたッ!!!
あッ!!
ちょぴッと追伸さんでッ
ございますッ・・・
描かれました癸巳清和月とはッ
天保四年(1833)ッ四月一日頃ッ
融思さん六十五歳の頃かと存じよりますッ・・・

してして画題と致しましてはッ
東洋画におきましてはッ
蜂ッ猿ッ蝙蝠ッ鹿の四種はッ
幸いの意味を持つ動物と言われておりましてッ
故にこの画題はッ
蜂と猿でッ
ほうこうッ
つまりッ
『封候』図ッ
とのことでございますッ!!
なるほどお勉強になりましたッ!!!
