皆様今晩はッ!
でさてして先日のブレェ~クさんをば挟みましてッ
今宵よりッまた再び独断と偏見さんスタァ~トさんでございますぞぉ~~ッ!!
ででして再スタァ~トさんの内容はと申しますればッ
これまた何ともさんなッ
近世大坂画壇の面々さんの御登場でございますッ!!
でッ これがまた実にドヒャドヒャバッキンガム宮殿なもんでございますからッ
皆様ここはひとつッ
じっくり腰を据えてのドボチョンさんでぇ~ございますッ!!
ではでは早速ッ
大坂画壇ッ先鋒さんの御登場とまいりやしょほほぉ~~いッ!!
でッいやいやこらまかいらしかワンワンでございますなぁ~~~ッ!!
しかもこの誠シンプルさんなタッチながらもパピッとした描写力にッ
今宵の大坂画壇さんのッ
只者ならぬ気配をば感じてしまう今宵のちゃまでございますれしがッ
さて皆様ッ!
今宵のこのワンワンを描かれたお方様とはッ
それこそ正にッ大坂画壇先鋒さんとしてパッチシッ!
してしてその名をッ
好調ッ好調ッぜっこぉ~ちょぉお~~~のッ
上田公長(うえだこうちょう)さんとッ
申しまわぁ~~~すッ!!!
でッ その公長さんッ
それこそもぉ~浪花のコテコテ画人の典型さんみたいなお方でございましてッ
天明八年ッ 大坂船場の木綿問屋に生まれッ
若き頃にッかの四条派の祖ッ
松村呉春さんのもとでその画法を学んだ後ッ
これまた当時のコテコテ大坂画壇のひとりッ
中井藍江さんのもとにてパピッと画人としての独り立ちをば果たしッ
してしてその後はパピパピ画人街道まっしぐらッ!!
でッ かの紀州徳川家藩主ッ徳川斉順さんに召されて御用絵師になっちゃったりッ
二十代の頃よりッ 今でゆぅ~大阪市内の各所に居を転々とされッ
地元大坂密着形ともゆぅ~べき画本に力を入れッ
その人気はそれこそパフパフさんだったとのことッ!!
なもんでございますからッ
いってみりゃぁ~~それこそ今でゆぅ~吉本芸人さん並みのッ
人気だったのかもしんないでございますぞッ!!
ってなわけでございましてッ
再び今宵のワンワンに戻りますでございますがッ
ご覧のよぉ~にッ
その画風は師の呉春さんの影響大でございましてッ
いわゆる四条派風まったり画法ッてな感じでございます故にッ
今宵のこのワンワンもッ
正にそんな感じのモニョモニョさんでございますッ・・・
まぁ~つまりッ
コテコテさんの浪花でありながらのこのモニョモニョ感がッ
大坂ッちゅぅ~底抜けに明るい気質の間でッ
ドップリさんと受け入れられてッ
してまたその人柄さんも相まってッ
ついにはそれこそドヒャドヒャバッキンガム宮殿にまでッ
至ったのでございましょぉ~なぁ~~ッ!
画面右下の落款部に記された年記よりますればッ
嘉永三年一月元日ッ
公長試筆ッ とのことッ・・・
なッ なんとまこの年は公長さん最期の年ッ
正に公長さん最晩年の描き初めのワンワンちゅぅ~ことでございますかぁ~~ッ!!
いやいやこいつぁ~どえらいこっちゃでございますッ!!
まぁ~まぁ~それにいたしましてもッ
その嘉永三年に六十三歳でその生涯を終える公長さんでございますがッ
公長コテコテさんのDHLはッ??
いやッ DMMッ???
Dぇ~~?? まぁ~いいかッ・・・
でッ 公長さんのそのコテコテさんの意志はッ
これまたコテコテさんの数々のお弟子さんやッ公長さんの息子さんやらへとッ
伝えゆかれていったのでッ
ごッざいまわぁ~~すッ!!
大坂浪花ッちゅぅ~正にコテコテさんな地にてッ
画人としてパピッと生き抜かれた公長さんッ
その人生はッ それこそほんまにッ
好調ぉ~好調ぉ~絶公長さんだったんでございましょぉ~なぁ~~~ッ!!