皆様今晩はッ!
でして今宵はちょいとした旅行気分にをばッ
したっていただきやしょほいかねでございますれしッ!!
ではでは早速ッレッツラゴォ~ッ!!!
ってほらほら皆様ッ
こちらはかの有名な名所ッ
伊勢二見ケ浦の夫婦岩でございますぞぉ~~ッ!!
いやいやこりゃしかしッ
ヘルメットでんなぁ~~ッ???
あじゃなくてッ メルヘンでんなぁ~~~ッ・・・・
朝か夕暮れかは定かではないもののッ
凪ぎに佇む夫婦岩の穏やかなこと穏やかなことッ
遠くに霊峰富士を眺めッ
じっと眺めるそれだけでッ
心はもぉ~とっくの三月さんに二見ヶ浦ッてもんでございますッ!!
まっこと静かに波打つ水面ッ
してまたその存在をば静かながらも堂々と表された岩肌の力強さッ
ほとんど色を使わぬ淡彩なれどもッ
ここまでパピッと表現するたぁ~ッ
今宵もこりゃまた只者さんじゃぁ~ござんせんなぁ~~~ッ!??
でででッ
今宵のこの二見ヶ浦さんをば描かれた御仁とはッ
いつたい何処の何方でございましょぉ~やッ!???
ってなわけでございましてッ
今宵のこの二見ヶ浦さんをば描かれました御仁とはッ
京都幕末期の四条派画家ッ
塩川文麟(しおかわ ぶんりん)さんとッ申しますぅ~~ッ!!
でッ その文麟さんッ
京都四条派画風を忠実に受け継ぎッ
幕末~明治に至るまでッ
京都四条派のなんちゃるやッちゅぅ~もんをッ
パピッと知らしめ続けた御仁でございましたッ!!
でッ
文麟さんのまずのお生まれはッ
享和元年ッ 京都の安井門蓮華光院門跡に仕えるお家の子としてでございましたッ
つまりは神職さんを守るお役目のお家ッつぅ~感じでございましょぉ~かッ・・・
ところが文麟さん十三歳のときにッ
悲しいかなッなんと御両親と死別されッ
一時は安井門跡の侍臣となったもののッ
生来の絵好きが高じて半ば独学的に絵に励むうちッ
とうとう門主の許しをいただきッ
当時の四条派のひとりッ
岡本豊彦さんの師事を受けッ
やがては安井門跡のお抱え絵師にとなられたのでございましたッ!
してッ
今宵の二見ヶ浦の図を見ていただきますれば御納得かと存じますがッ
文麟さんのその画風はッ
実に技巧派でございましてッ
正にパピパピッとした風景図ッちゅぅ~のがッ
文麟さんの真骨頂といったところでございましたッ!
ででして文麟さんはッ
その画風とは裏腹ッちゅぅ~かなんちゅぅ~かッ
人間的にはなかなか懐の広い御仁だったとのことでございますッ
時は幕末ッ 尊王攘夷の思想強気文麟さんだったよぉ~でございますがッ
決してガンガン突っ走る事はなくッ
いうなりゃ相手の話をそっと受け入れてくれるよぉ~なッ
そんな包容力のある一面をもってらっしゃったよぉ~でございますッ!!
故にッ
今宵の二見ヶ浦のよぉ~なッ
パピカチッとした風景図なれどッ
何処となく眺めるうちに心なごんでゆくのはッ
そんな文麟さんのお人柄のせいでございましょぉ~かッ・・・
幕末~明治という激動の時代にッ
己の信ずるパピッと画風をしっかりと貫き通した文麟さんッ
してその力強き心の画風と精神はッ
文麟さんが育てた数々のお弟子さん達によってッ
近代の絵画界にまで受け継がれていったとのことでございますッ!
もぉ~かれこれ十年以上も前のことッ
ちゃまの長男がまだよちよちだった頃ッ
家族で伊勢へ出掛けましたときのがッ
二見ヶ浦を目の当たりにするたった一度の思い出でございましたがッ
今宵のこの文麟さんの描いた二見ヶ浦を前にしたときッ
あの日のまっこと懐かしき思い出がッ
パピパピッとガマガエルじゃなくってッ蘇ったのはッ
やっぱし文麟さんのもんのすんごいところなのかもしんないでございますッ!!
今宵はちょいとッ
懐かしき思い出についついしたってしまったちゃまでございましたッ・・・・