皆様今晩はッ!!
でさてして早速さんではございますがッ
今宵のお客様はこちらさんでぇ~ごッじゃりまわぁ~~すッ!!
ッてまぁ~このがぁ~がぁ~アヒルさんでございましたかぁ~~ッ!!?
んん~~ッ??
いやいやペリカンさんだぁ~~~ッ!!!
こりゃこりゃよぉ~こそペリカンすわぁ~~~んんッ!!!
ってこら誰がペリカンじゃこらちゃまッ!
わしは鶴じゃツルツルよぉ~見んかいッ!!!
あはッ!
ごッごッめんねぇ~~~~ッ!!
ってなまたもやアホな出だしで御無礼してしまいましたれしがッ
そぉ~なんれし皆様ッ!
今宵御登場さんのこちら様ッ
にんとまかんとま実に滑稽さんなッ
木彫の鶴さん形香合さんだったんでごじゃりまふぅ~~~ッ!!
しかしまぁ~ねぇ~皆様ッ
何度も申し上げますけど実に何とも滑稽さんなるデザインさんのッ
鶴さんでございましょッ!!
でもでもその細かなお仕事さんはッ
実にパピパピッ!!
鶴さんの表情しかりッ
その蹲ったる仕草のお姿しかりッ
滑稽ながらも全体のデザインさんのまとめ方しかりッ
ででして勿論細部に亘る彫のお仕事の丁寧さしかりッ!!
いやいや何とも気持ちよろしき鶴さんでございますッ!!
ッてなわけでございましてッ
実を申しますれば今宵のこの鶴さんッ
かのその名も高き飛騨一刀彫の鶴さんだったのでぇ~ごんざいますッ!!
でさてしてその飛騨一刀彫さんとはッ
江戸時代文化文政の頃ッ
飛騨高山の地にてッ
かの名工松田亮長(まつだすけなが 寛政十二年~明治四年)さんちゅぅ~お方様がッ
確立された飛騨高山の名物でございましてッ
正に今宵の鶴さんの如し滑稽なデザインのかいらしか木彫を編出しッ
特にその亮長さんの手掛けた根付はッ
今もなお全国の注目の的と言われておりますんでございますぞッ!!
でして実はそのッ
今宵のこの鶴さんをば手掛けられた御仁ッ
その亮長さんの実質的孫弟子になられるお方様なんでございますッ!!
だはははッ! なんだかオモロォ~なってきたでございましょッ!!
でしてその名を津田亮貞(つだすけさだ)さんとぉ~申しますぅ~~~ッ!!
でッその亮貞さんッ
安政四年にこれまた当時の天才彫師ッ谷口与鹿の弟子のッ
浅井一之さんの息子としてお生まれさんになりッ
その後すぐに津田家の養子さんとなりッ
僅か十一歳でッ
今度はその亮長さんのたった一人の弟子でもあられたッ
広野亮直(ひろのすけなお 弘化元年~明治十八年)さんの下へと弟子入りするのでございますッ!!
してその亮長さん亮直さんともにッ
負けず劣らずの飛騨一刀彫の名工と言われッ
それぞれ一子相伝の如くッ
弟子は一人だけだったそぉ~でございますッ!!
今でこそッ
その亮長さんの流れをくむ亮派といわれし彫師の名が残ってはおりますけれどもッ
亮長さん直系と言われる彫師さんはッ
正にその亮直さんとッ亮貞さんだけなんだそぉ~でございますんですッ!!
いひゃいひゃ何ともこれはこれはッ
先程はアヒルさんだのペリカンさんだの御無礼の数々ッ
亮貞さんほんとにごッごッめんねぇ~~~~ッ!!
それにいたしましてもッ
改めてこぉ~してゆっくり見て見ますればッ
まっこと気持ちのいいもんでございますやねッ!
使われたその材は一位材ッ
いわゆる当時ではちょいと高級なる木材の一つでございますッ
亮貞さんがお亡くなりになられたのは大正九年ッ
今宵のこの鶴さんは恐らくたぶん明治の後期ッ
もうその頃既にッ
一位材を見事に使いこなす名工さんとなっておられた証しでございますッ
亮貞さんッ!
今宵のこのペリカンさんッ
心して大切にさせていただきますでございますぞぉ~~~ッ!!!
こらちゃまッ!
わしは鶴じゃぁ~~~ッ!!!