皆様今晩はッ!
でさてして今宵の一幅さんはッ
今までとはちょいと雰囲気変わりやしてッ
ちょいと勇猛さんちゅぅ~かなんちゅ~か本中華ッ
ってな虎さんの御登場さんでございますッ!!
♫♬♫ ちゃぁ~~らららららららぁ~~~ッ!!
ワタクシ生まれも育ちも葛飾柴又でございますッさくらぁ~~~ッ!!
ってその寅さんじゃなくってぇ~~ッ
あのガオガオガオォオ~~ッの虎さんでございますッ!!
じゃぁ~まぁ~ッ御調子に乗ってアホな駄洒落が連発する前にッ
御登場いただいちゃいましょほいかねッ!!
タイガァ~炊飯ジャーッ!!
ってまぁ~このこんな感じの虎さんでございますれしがッ
時代は江戸の後期ッ
いわゆるまだ本物の虎さんを目にする前のお話でございますからッ
何処となくニャンニャンのよぉ~な虎ちゃんでございますやねッ!
でまぁ~このッ
桃山あたりから江戸時代にかけてッ
数々の虎さんが様々な絵師によって描かれてきたもののッ
やっぱし本物を見ていないっつぅ~ことはッ
ある意味日本独特の虎さん図としてッ
オモロい分野になるのかもしんないでございますなぁ~~ッ!!
でさてして今宵のこの虎さんでございますがッ
この虎さんを描いたお方様はッ
その名を渡辺秀詮さんと申しましてッ
九州長崎の唐絵目利きの家系のひとつッ
渡辺家のひとりでございましてッ
その当時ッ 虎の絵の秀詮とまでゆわれた程のッ
虎の絵大好きさんなお方様でございますッ!
でッ まずはとりやえずッ
その秀詮さんにつきましてでございますがッ
そのお生まれは元文元年ッ
してしてその後の宝暦十一年ッ
養父であった渡辺家先代の秀彩さんの跡を継ぎッ
二十一歳の若さで唐絵目利及びッ御用絵師としてッ
パピッと気合を入れられたのでございましたッ!!
してまたその後ッ
実子である鶴州さんをしっかりと仕込みッ
渡辺家次代の道へとちゃんと導きッ
物凄い絵師へと育て上げたのでございましたッ!!
文化七年ッ
秀詮さんはッ八十九歳でお亡くなりになられますがッ
その地道な功績はッ
皆の認めるものだったと伝えられているよぉ~でございますッ!!
でさてしてここでッ
今宵の虎さんに戻りますれしがッ
さすがは虎を描かせればドヒャドヒャバッキンガムッてな秀詮さんッ
まぁ~そのちょいとかいらしぃ~虎さんではございますがッ
そのグッと背をまるめた姿の表現しかりッ
ギョロッとした目の鋭さしかりッ
してしてその毛並みの一本一本から色使いまでッ
さすがは虎好きといわれただけのことはございますでございますッ!!
でねでね今宵のこの虎さんッ
もひとつ気になるとこがございましてッ・・・
でそれがこの上部に添えられた実に達筆なる賛の主ッ
してその落款印譜を一応ちゃまなりに調べてみたところッ
擔宗さんちゅぅ~お方様のよぉ~なんでございますがッ
因みに擔宗さんちゅぅ~お名前で該当するのがッ
その当時の深草欣浄寺を復興させた立役者ッ
天照卍瑞和尚さんというお方様なんでございますッ!
でッ その天照さんとッ秀詮さんの活躍の時期がッ
どぉ~にもピッタシッ!
ででして更にッ これはこじつけかもしんないでございますがッ
秀詮さんゆかりのお寺さんはッ
京都との交流深きお寺とのことッ
ででしてででしてほんでまった更にッ
たまたま目にした天照さん直筆の短冊さんをば見てみたらねッ
なんとまその書体がッ
今宵のこのグニャグニャッとした賛の書体によぉ~く似てるんでございますよぉ~これがッ!!
ただねッ・・・
今宵のこの賛に添えられたもう一つの印章の読みはッ
「泰珍」ッ でこれはその天照さんにおかれましてはッ
全然当てはまらない号なんでございますんよッ・・・・
まぁ~ねぇ~あくまで天照さんの件はッ
ちゃまの勝手な思い込みでございますからッ
もしもそぉ~だとしたら凄いなぁ~~~ッ
ちゅぅ~だけのことでございますッ・・・・
でもでもね皆様ッ!!
秀詮さんの描く虎さんの絵にッ
こぉ~した賛が添えられてるッてぇ~のはッ
やっぱし虎さんだけを描いたものよりもッ
その存在が違うのかもしんないでございますよねッ!
きっと秀詮さんもッ
今宵のこの絵を描いたときはッ
賛をしてくださったお方様の為にもッ
いつも以上の気合を入れて描かれたことでございましょうッ!!
でッ
因みにちゃまの干支は寅ッ
しかもその年の寅さんは大人しい猫ちゃんのよぉ~な寅さんだったとのことッ
ほしたらそれこそッ
今宵の虎さんはちゃまにピッタシでございましたなぁ~~ッ!!
うッほほぉ~~いッ!!
陽春真っ只中の平成二十七年四月ッ
今宵のご縁はちゃまにとってのッ
これぞ正に追い風さんなのかもしれないでございますなぁ~~~~ッ!!!