皆様今晩はッ!!
っでさてして今年も早ッ
一月が過ぎ去ろぉ~~と致しておりますれしがッ
そげな一月名残のドカンと一発ッ
兎にも角にもお届けさんでぇ~ございますッ!!
っででしてそれがッ
こッつらぴんッ!!!
ってってまぁ~こりゃいわゆるひとつのッ
酒器に画賛の一幅さんでぇ~ござりまっかぁ~ッ!!
っでッ
まずこのお酒をば注ぐ手付きのお方様はッ
恐らくたぶんに西洋陶器の水注さんちゅぅ~かポットさんちゅぅ~かッ?
何気に染付の手のよぉ~なところからしてッ
阿蘭陀デルフトのポットさんでございましょぉ~かッ!?
っでしてかたやの盃さんちゅぅ~かなんちゅぅ~かッ
こいつぁ~正しくギヤマンさんのグラスでございましょぉ~かッ!!
っでまぁ~このぱっと見ッ
もしやもしやの江戸ガラスさんの可能性がッ
ちゃまのお海苔じゃなくてッ
ちゃまの脳裏を横切りマクラぁ~レンでございましたがッ
よく見りゃ色は真ッ赤ッかッ!
江戸期の和製ガラスで赤のものはッ
薩摩のみッ
薩摩にこげなる赤いグラスはッ
現時点ではカンガルぅ~がらりるれろじゃなくてッ
考えられないもんでッ
恐らくたぶんッ
渡りのギヤマンさんかと存じよりますッ!!
いやいやしかしまッ
江戸期の絵画でッ
いわゆる渡りの阿蘭陀&ギヤマンさんをばッ
お揃いさんで描いたものはッ
結構ぉ~こいつぁ~なかなか見ないド珍品かもッ!
おらおら令和五年一月さんのッ
締め括りにゃぁ~~最高ぉ~さんのッ
アイテモさんでございまんなぁ~~ッ!!!
っでさてしてここで気になるところがッ
今宵のこげなるド珍品さんをばッ
描きなすったお方様はッ
いったい誰ぞやッ!??
ってなところになりますでございますれしがッ
はいはい皆様お待たせいたしましたッ!
っででして何をば隠そぉ~その描きなすったお方様とはッ
その名ッ
鳥文斎栄之さんと申しましてッ
いわゆるひとつの江戸中後期にッ
ドカンと一発活躍なされた肉筆浮世絵師さんでぇ~~ごだりますッ!!
っとまぁ~こりゃ肉筆浮世絵師さんとはッ
こりゃ意外ッ!?
なして肉筆浮世絵師さんの鳥文斎栄之がッ
こげな阿蘭陀&ギヤマンさんのえをば描きなすったのかッ!?
っでッ!
そこでその謎解きの大きなポイトンさんがッ
この画面上部に記されましたるパピパピさんの賛ッ!
お恥ずかしかではございますがッ
こちらの賛の読みはまだ分かんないでございますけどッ
まずこの賛をば記されましたるお方様はッ
あのかの江戸中後期の狂歌師ッ
大田蜀山人さんなんでぇ~ごだりますッ!!
っでッ!
そげのなにが大きなポイトンさんかと申しますればッ!
まずこの蜀山人さんはッ
そりゃもぉ~当時の有名さんなるお遊び上手の御仁ッ
してまたその当時の浮世絵師との交流さんんもッ
超ぉ~有名ッ!!
なもんで恐らくッ
栄之さんとッ
何処ぞかのお茶屋さんでの酒席にてのッ
いわゆるひとつの席画なのかもしれませんでございますッ!
だとすりゃ肉筆浮世絵師の栄之さんがッ
さささとちゃちゃッとこげな酒器をば描きなすったのもッ
ドカンと一発納得さんでッ
ござりまひょぉ~~ッ!!
しかもかもかもッ
恐らくたぶんッ
そのお茶屋さんで出された酒器がッ
阿蘭陀のポットさんとギヤマングラスさんだったのかもッ
知れないでございまさぁ~~やねッ!!!?
この蜀山人さんの賛が読めたらッ
もちッとその席の様子がわかるかもでございますがッ
そこは今一つの宿題さんとさしていただきましてッ
っでッ
この絵がえがかれた時期と致しましてッ
恐らくたぶんに蜀山人さんが蜀山人をば名乗るのがッ
1801年でございますからッ
文化文政そのあたりかと存じよりますッ!
いやいやしかしまッ
兎にも角にもッ
一枚の絵にッ
江戸期阿蘭陀渡りのビッグツぅ~のッ
デルフトさんとギヤマンさんがッ
一緒に描かれた一幅さんとはッ
こいつぁ~~ちぃ~とッ
あのかの伝説のッ
ドヒャドヒャバッキンガム宮殿入城直行便クラスのッ
シロモノさんかもしんないさんでッ
ございますなぁ~~~ッ・・・・?
因みに余談ではございますがッ
この一幅さんが収納されとります桐箱さんの箱書きがッ
あのかの古筆鑑定の大家ッ
堀江秋菊(智彦)さんなんでございますッ!!
なもんでこいつぁ~プラスアロフぁ~~たまりまへんなぁ~~ッ・・・
ってなわけでございましてッ
令和五年ッ
一月さんもッ
御笑覧ッ御笑聞ッ
まッこと有難うございましたぁ~~~ッ!!!
来月さんもッ
また頑張り松ッ!
ぽすッ!
鳥文斎栄之ッ
宝暦六年(1756)五〇〇万石直参旗本の家に生まれるッ
いわゆる幕府に仕える旗本でありッ
また肉筆浮世絵師でもあったッ
歌麿などはやッぱしライバルだったとのことッ
文政十二年(1829)七十三歳没すッ
大田蜀山人ッ
寛政二年(1749)牛込生まれッ
狂歌師でありッ御家人ッ
通称ッ直次郎ッ後に七左衛門と改めるッ
南畝と号すッ
蜀山人は別号也ッ!
文政六年(1823)七十四歳没すッ