ええぇ〜ッとッ
海老屋の品ぞろえにてちょぴっと御紹介いたしました京阿蘭陀のことでございますがッ 皆様その京阿蘭陀ッちゅぅ〜のはいったいどんなものだと思われますでございましょう〜かッ!??
でッ 正にそれはその名の通りの京都で生まれた阿蘭陀焼ッてなもんでございますッ!!
今を遡りますこと西暦1600年ッ!
阿蘭陀船のリーフデ号が大分臼杵に漂着いたしましたのをきっかけにッ我国と阿蘭陀との長きに亘る貿易が始まるのでございますがッ
その貿易のお陰で西洋の様々な文物が続々と日本へともたらされてゆくのでございますッ!!
んでそんな中ッ
十九世紀の初め頃ッ西洋の工房で開発された銅版転写による絵付陶器が出現したのでございましたッ!!
まぁ〜この所謂プリントウェアと言われるものでございますがッ
その新たなる西洋陶器の一群もッ勿論阿蘭陀を通じてその頃からこれまた続々と持たされてゆくのでございましたッ!!
ででッ その銅版転写陶器の一群はッゆぅ〜までもなく当時の日本に大きなセンセェ〜ショナルを巻き起こしッ 言わば異国趣味憧れの阿蘭陀陶器として
もてはやされることとなるのでございますッ!
でしてそぉ〜なって来るとムズムズ黙っちゃいらんねぇ〜ッてなことだったのかどぉ〜かは定かじゃござんせんがッ
当時の我国の陶工さん達のその旺盛なる好奇心が爆発したのかの如しッ銅版転写の陶器を見様見まねで再現しよぉ〜とガンガン挑戦していくのでございましたッ!!
ででしてそんな経緯の上誕生いたしましたのがッ その京阿蘭陀ッちゅぅ〜皆様なんでございますッ!!
ッてなわけでございましてッ!まずはその京阿蘭陀ッちゅ〜ものの特徴をば御紹介したく存じよりますがッ!
あくまでッ西洋の銅版転写の陶器を写したとはいえッ その絵付けは全て手描きによるものでございましてッ
つまり当時の日本では銅版転写なる技術自体誰も知る由もなくッ
なもんでございますからッあの実にパピッと細かな銅版転写のデザインを地道に手描きで再現していくわけなんでございますがッ
それ故のこれまたちょいと不思議なデザインがッ京阿蘭陀ならではのまず一つの特徴なんでございますッ!!
んでッ お次の特徴でございますがッ
それはその描かれた図柄の内容なんでございますッ!!
でッ 言われば西洋の図柄を忠実に写したつもりではいるもののッ
そこはほれッさすがは当時の職人さんッ 素直にそのまま写すわけもなくッ ある意味少々独裁的自分勝手な空想も入り混じってくるのでございますッ!!
なもんでございますからッ
例えば西洋風景であっても何処かしらけったいでありッ
花柄なのに何故だか唐草みたいだったりッ・・・
実に正になんじゃこりやあ〜〜〜!???
ってなみたいな図柄なんでございますッ!!
んでんで更にお次の特徴でございますがッ
それが実はその姿形なんでございますッ!!
んでまぁ〜その勿論全てにおいてではございませんがッ 一応なりとも西洋陶器の写しなれどッどっからどぉ〜見ても立派な日本の陶器ってなもんが結構存在するんでございますッ!!
例えば急須涼炉といった煎茶道具であったりッ
水指ッ茶入や喰篭等のお茶道具であったりッ
徳利ッれんげッ盃洗ッ盃台ッ
西洋後期ではまず見られないようぉ〜なものがぞぉ〜ろぞろッ!!?
でしてその極めつけに何とッ 重箱まで存在するんでございますんですッ!!
まぁ〜このつまりはッ
日本の陶工さんが手掛けたからこその結果ではございましょぉ〜けどねッ!!
ってなわけでございましてッ
この類稀なる不思議な陶器の京阿蘭陀ッ!!
してまた何とッ その一部には天皇家からの下腸品からッ
大名家などからの拝領品などまでッ
当時のものごっつい場面にもぱパピッと登場するぐらいッ
なかなか注目も高かったかのよぉ〜でございますッ!!
但しッ。。。
何とも残念ながらッ その京阿蘭陀に関する正確な産地を含めましての詳しき全容は未だ定かにされていないのが現状なんでございますッ。。。
何時ッ何処で何方によってどのよぉ〜な経緯の上生まれたのかッ?
実に謎多き京阿蘭陀なのではございますがッ
実は近年ッ 京都においてのある地道な研究のお陰で少しづつではございますがッ 京都阿蘭陀誕生の謎が紐解かれつつございますんでございますッ!!
してッ
そのヒントとなる重要なポイントがッ 京都建仁寺さんなんでございますッ!!
でッ実はその建仁寺さんッ
昔より長崎のとあるお寺さんとの親交が深くッ 故にその御縁の流れで長崎出島よりの阿蘭陀渡来品が沢山建仁寺さんへと寄進されていたのでございますッ!!
つまりッ!
西洋の銅版転写の陶器の数々もッ 建仁寺さんに集まってたッちゅぅ〜わけでございますッ!!
ででしてここで更に重要なのがッ
その建仁寺さんは何とッ あの京都陶芸のメッカ五条坂一帯の皆様が壇家であるお寺さんだったのでございますんですッ!!
なもんでつまりッ
その建仁寺さんに五条坂を中心とした名だたる陶工さん達が挙ってその銅版転写陶器を見に行かれたことはッ 必然のことだったよぉ〜でございますッ!!
以上よりッ
京阿蘭陀発祥の地は京都栗田ではなかろぉ〜かといわれておりますがッ その建仁寺さんを巡る説からすればッ実に納得の流れかもしれないんでございますッ!!
してその後ッ
摩訶不思議なる京阿蘭陀の息吹はッ日本各地へと広がりッ
伊賀ッ瀬戸ッ常滑ッ或いは江戸の今戸あたりにも広がっていったよぉ〜でございますッ!!
時代は正に江戸後期から幕末ッ
それこそ明治維新がすぐそこに迫りし時代ッ!
西洋からの文物がドガッとパピッと盛り上げを見せた賑やかな時代でもございましたッ!!
そんな時代にある時忽然とその姿を現しッ 日本じゅうにあたかも西洋渡来の陶器とまで思わせッ 下腸品や拝領品として珍重されながらもッ 恐らく幕末の頃にはパッとその姿を消してしまった謎の陶器ッ
阿蘭陀貿易によって生まれた産物ともなればッ 日本橋とのゆかりも無きにしも非ずッ!!
なんとかひとつッ
この不思議な極まりなき魅力の感動をばッ
皆様にお伝えいたしたく深く願い存じよります次第でございますッ!!
江戸後日蘭貿易ッ
それは正に我国日本にッ他の国では決して見る事のないよぉ〜なッ
独自の工芸の数々を生み出すきっかけとなったとっても素敵な出来事だったのかもしれないでございますやねッ!!