近代物故名工鉄ッちゃんッ!!

皆様今晩はッ!!

 

 

っでさてして来たります『鉄ッちゃんッ古鉄ッちゃんッ』

ご紹介さんもッ

何気に順調さんに進んでおりますさんでございますがッ

 

今宵はちょぴッと斬新的な鉄ッちゃんをばッ

ご紹介さんでございますッ!!

 

 

 

 

っででしてそれはッ!?

 

こッつらぴんッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

ってっておうおうおおぉ~うッ!!

 

 

 

って確かに何気にキレッキレの斬新さんとッ

もにょもにょさんでございますがッ

 

 

何をば隠そぉ~ッ

今宵のこちらの皆々様ッ

何気にポチッと名の通られましたるッ

皆々様なんでッ

ごッだりまわぁ~~すッ!!!

なんですよッ!

 

 

 

 

っでまずこのキレッキレのお二方をばッ

手掛けられたご仁でございますがッ

 

 

 

 

 

 

その名ッ

加藤宗厳さんと申しますッ!!

 

 

 

 

 

 

 

っでッ

その宗厳さんでございますがッ

お生まれさんはッ

明治三十二年ッ

京都三条にてッ

刀装白銀師の加藤嘉兵衛の孫としてお生まれになりッ

その後ッ

父の嘉七さんに彫鍛金のご術を学びッ

その技術で動物等の作品のエックスパぁ~トナぁ~としてッ

京都で活躍されたッ

名工さんでッ

ございますッ!!

 

 

 

 

 

 

っでして一方ッ

こちらのもにょもにょさんをばッ

手掛けられたお方様でございますがッ

 

 

 

 

 

まずそのお名前さんはッ

天岡均一さんと申しましてッ

恐らくたぶんッ

関西大阪ではッ

知るお方様ぞ知る知るミチル城みちるでございましてッ

 

 

 

 

あのかの大阪市内の難波橋ッ

通称ライヨン橋と呼ばれるものごッつぅ~なッ

立派な橋のッ

ライヨン彫刻をば手掛けられたッ

ご仁でございますッ!!

 

 

 

 

っでしてその今宵の均一さんでございますがッ

お生まれさんは明治の八年ッ

兵庫は三田でございましてッ

いわゆる三田何藩の重臣の息子さんでございましたッ!!

 

 

っでまぁ~このその後はッ

ドカンと一発上京されてッ

現在の東京芸大でございます東京美術学校でッ

彫刻をば習得なされたのちはッ

大阪にて動物の青銅器を中心にッ

活躍なされたお方様でございますッ!!

 

 

 

 

 

 

 

ってなわけでございましてッ

改めまして今宵の皆々様をばご覧いただきますればッ

 

 

 

 

まぁ~この勿論さんではございますがッ

どちらもこちらも鉄ッちゃん製ッ!

 

宗厳しかりッ均一さんしかりッ

鉄ッちゃん製の作品はッ

ちょいと珍らッ!

 

 

 

 

特に均一さんに至りましてはッ

青銅器中心だったしッ

おまけに戦時中の金属供出令もあってかッ

その作品はまッこと少ないとされておりますッ

しかもましてや更に数少ないと思われますッ

鉄ッちゃん製とくりゃぁ~ねぇ~ッ!!

 

んでしてその均一さんご自身もッ

四十九歳という若さでお亡くなりになられてる故ッ

更に更にの尚更でございますッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

とにもかくにもッ

『鉄ッちゃんッ古鉄ッちゃんッ』

近代の鉄ッちゃんとてもッ

何気にありがたきご縁の上にッ

成り立ってございますんでございますやねッ・・・

 

 

よッしゃはッ!

十月まではまだまだだけどッ

頑張らバラバラ焼肉ばら肉食べたいなぁ~~ッ…

 

 

ってッ

頑張り松ッ!!!